映画「ひゃくえむ。」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
これは、単なるスポーツアニメではない。
断じて違う。
本作は、『チ。―地球の運動について―』で漫画界を震撼させた哲学者・魚豊と、『音楽』でアニメーションの常識を破壊した異端児・岩井澤健治、この二つの巨大な才能が正面衝突した結果生まれた、106分間の「映像による哲学論文」である。
100メートル走という、わずか10秒で終わるシンプルな競技。
しかし、この映画が問うのは「誰が一番速いか」ではない。
「なぜ、我々は走るのか」。
「何のために、人生を懸けるのか」。
その根源的な問いを、観客の脳髄に直接叩き込んでくる。
これは心地よい感動を約束する作品ではない。
むしろ、観る者の心身を削り、呼吸を忘れさせ、終映後には心地よい疲労感と共に、自らの人生について考え込ませるタイプの劇薬だ。
覚悟はいいか。これから、その魂の在り処を徹底的に解剖していく。
映画「ひゃくえむ。」の個人的評価
評価: ★★★★★
映画「ひゃくえむ。」の感想・レビュー(ネタバレあり)
魂の軌跡:二人のスプリンターが駆け抜けた光と影
物語は、二人の男の十数年にわたる人生の軌跡を、執拗なまでに追いかける。
天賦の才に恵まれ、速く走ることですべてを手に入れてきた主人公、トガシ。彼にとって「走ること」は、他者との関係性を築くためのツールであり、自らの価値を証明する手段だった。
そこへ現れるのが、もう一人の主人公、小宮。辛い現実から逃げるために、ただがむしゃらに走る転校生だ。トガシが気まぐれに教えた走り方が、小宮の中に眠る「怪物」を目覚めさせてしまう。記録更新という麻薬に取り憑かれた小宮は、やがてトガシの最強のライバルへと変貌していく。
小学生編で描かれるのは、純粋な才能と、逃避から生まれた執念の出会いだ。しかし、直接対決のレースで小宮が負傷リタイアしたことで、トガシは初めて「勝負に勝ち、試合に負ける」という事実を突きつけられ、敗北への恐怖を心に刻む。
中学・高校編で、二人の立場は劇的に逆転する。
勝ち続けることへの重圧に苛まれ、才能の停滞に苦しむトガシ。一度は陸上から離れようとさえする。対照的に、怪我とイップスを乗り越えた小宮は、狂気的なまでの努力で全国トップクラスのスプリンターへと成長を遂げていた。そしてインターハイ決勝。努力の化身となった小宮は、トガシを完膚なきまでに打ち負かす。速さだけが自己肯定の根拠だったトガシにとって、それはアイデンティティの完全な崩壊を意味した。
そして社会人編。小宮は日本短距離界のエースとして君臨し、トガシは走る意味を見失ったまま、かろうじて実業団に籍を置く。達観したエース・海棠との対話で情熱の火種を取り戻しかけるが、選手生命を脅かす大怪我を負い、契約を打ち切られる。
地位、名声、金、他者からの承認。すべてを失ったトガシは、ここで初めて、純粋に「自分自身のため」に走ることを決意する。彼が取り戻したのは、記録や勝利の先にある、もっと根源的な「走ることへの執着」だった。物語は、復活を遂げたトガシと絶対王者・小宮が再び激突する、日本陸上選手権決勝へと収斂していく。
役名 | 声の出演 | 役割・人物像 |
トガシ | 松坂桃李 | 天賦の才を持つが、勝利への重圧に苦しむ主人公。 |
小宮 | 染谷将太 | 辛い現実からの逃避として走り始め、努力で才能を開花させるもう一人の主人公。 |
海棠 | 津田健次郎 | トガシが所属する実業団のエース。達観した哲学でトгаシに影響を与える。 |
財津 | 内田雄馬 | 日本記録を持つ絶対王者。孤高の存在。 |
ゴールテープの先にあるもの:勝敗を超えた哲学
この映画の最も挑戦的で、そして最も優れた点は、最後のレースの勝敗を明確に描かないことだ。
トガシと小宮がゴールライン上で完全に重なり、苦悶と歓喜が入り混じった表情を浮かべた瞬間、物語は幕を閉じる。一部の観客が「スッキリしない」と感じたこの結末こそ、本作の哲学的な核心である。
なぜ勝者が描かれなかったのか。それは、この物語が最終的に辿り着いた境地が、もはや「勝利」ではなかったからだ。物語全体を通して、トガシは名声や契約といった「外部からの評価」を一つずつ剥ぎ取られていく。すべてを失った彼が最後に求めたのは、メダルや記録ではない。「人間が本気でいるときの幸福感」――その10秒間の疾走の中にしか存在しない、純粋な生の爆発だった。
最後のシーンで二人が見せたあの表情こそが、彼らが共に手に入れた「勝利」の形なのだ。彼らはもはや、誰かに勝つためでも、認められるためでもなく、ただその瞬間のために走っている。ここでどちらか一人の手を挙げさせてしまっては、それまでのトガシの苦悩と再生の物語がすべて台無しになってしまう。
これは、結果や数字といった外部評価に依存しがちな現代社会への痛烈な批評でもある。原作者・魚豊が自身の作品で一貫して描いてきた「死」という絶対的な終着点を前に、人生の意味をどう見出すかというテーマが、この結末には凝縮されている。10秒のレースは人生の縮図だ。ゴール(死)は皆に平等に訪れる。重要なのは、その過程で何を掴み取ったか。本作は、その答えが「結果」ではなく「情熱を燃やし続けること」そのものにあると、力強く宣言しているのである。
映像の錬金術:岩井澤健治とロトスコープという狂気
魚豊の哲学的な原作を、岩井澤健治監督は「ロトスコープ」という狂気の技法で映像化した。
ロトスコープとは、実写映像をトレースしてアニメーションにする手法だ。本作では、これが単なるリアルさの追求ではなく、「感情のハイパーリアリズム」とでも言うべき領域にまで昇華されている。原作漫画では多用されたモノローグによる内面描写を、映画は極力排した。その代わりに、岩井澤監督は「身体」に語らせる。
苦痛に歪む顔、張り詰めた筋肉、極限状態で絞り出される呼気。それらを生々しく描き出すことで、登場人物たちの内なる葛藤や情熱を、観客の身体に直接伝達してくるのだ。一部で「キモい」と評されたその過剰なまでの写実性は、むしろ意図的な演出と見るべきだ。何かに取り憑かれた人間の姿は、時に常軌を逸し、美しさとはかけ離れた異様さを帯びる。その不気味さ、人間離れした執念の様相を、このアニメーションは完璧に捉えている。
特に、雨中のインターハイ決勝を長回しのワンカットで捉えたシークエンスは圧巻の一言。降りしきる雨、ぬかるんだトラック、極度の緊張感。まるで自分がその場にいるかのような没入感は、もはや恐怖すら覚えるレベルだ。
クライマックスの決勝戦の作画に丸1年を費やしたという逸話が、この映像表現が単なる技術ではなく、執念の結晶であることを物語っている。これは、魂を削って生み出された映像の錬金術なのだ。
疾走のサウンドスケープ:魂を揺さぶる音響設計
この異常な映像体験を完成させているのが、音楽と音響設計だ。
『呪術廻戦』などで知られる堤博明による劇伴は、ニューヨーク、ブダペスト、東京の3拠点でレコーディングされるなど、世界水準のクオリティを誇る。映像に合わせて作曲するフィルムスコアリングの手法が採用され、静寂と轟音が巧みに使い分けられることで、レースの緊張感を極限まで高めている。号砲一発の静寂、地面を蹴るスパイクの音、観客のどよめき。そのすべてが、観る者をトラックサイドへと引きずり込む。
そして、この映画体験を締めくくるのが、Official髭男dismによる主題歌「らしさ」だ。
この楽曲の配置が、まさに神がかっている。
前述の通り、映画は勝敗を描かずに幕を閉じることで、観客に一種の「物語的宙吊り」状態を強いる。そこに、競争の中での葛藤や挫折に抗う全ての人への讃歌である「らしさ」が流れ込む。この瞬間、観客の中で化学反応が起きる。
「誰が勝ったのか?」という問いは消え去り、「彼らは二人とも、自分だけの“らしさ”を見つけ、走り切ったのだ」という、より高次の感情的なカタルシスがもたらされるのだ。物語が意図的に与えなかった「答え」を、主題歌がエモーショナルな形で完璧に補完する。これは、映画と音楽が成し得た、奇跡的な共犯関係と言えるだろう。
映画「ひゃくえむ。」はこんな人にオススメ!
この映画は、万人に勧められる作品ではない。むしろ、観る者を選ぶ。
もしあなたが、岩井澤監督の前作『音楽』や、湯浅政明監督の『ピンポン THE ANIMATION』のような、作家性の強いアニメーションを愛する人間なら、本作は間違いなく必見だ。アニメーションという表現の限界を押し広げようとする、その志に打ちのめされるだろう。
あるいは、人生の意味や仕事の目的について悩み、自問自答を繰り返している人。本作は、スポーツという題材を通して、情熱、挫折、そして「何のために生きるのか」という普遍的な問いを突きつけてくる。これは、あなた自身の物語になり得る。
そして、何かの創作活動や競技に、狂気的なまでの情熱を注いだ経験のあるすべての人へ。たった一瞬の輝きのために人生のすべてを捧げる者たちの姿は、あなたの魂を肯定し、激しく揺さぶるはずだ。
逆に、単純明快なストーリーと、分かりやすいカタルシスを求める人には、本作は向かないかもしれない。結末の曖昧さに、ただただ戸惑うことになるだろう。これは、答えを教えてくれる映画ではなく、答えを考えさせる映画なのだ。
まとめ
劇場アニメ『ひゃくえむ。』は、傑作である。
それは、ジャンルという枠を軽々と飛び越え、人間の情熱と狂気、そして人生の意味そのものを描いた、一つの到達点だ。
『チ。』の魚豊が仕掛けた哲学的な問いを、『音楽』の岩井澤健治が脳を揺さぶるような生々しい映像へと翻訳し、そこに完璧な音響設計と主題歌が加わることで、唯一無二の映画体験が生まれている。
この映画が提示する答えは、残酷なまでにシンプルだ。
人生の意味は、ゴールテープの先にあるのではない。
栄光や名声の中にあるのでもない。
それは、すべてを懸けて疾走する、あのわずか10秒の中にこそ存在する。
苦しく、厳しく、しかしどうしようもなく美しい。
本作は、その闘争そのものが人生最大の報酬なのだと教えてくれる、すべての「走る者」たちに捧げられた人間讃歌だ。