映画「ジュラシック・ワールド/復活の大地」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
いやはや、とんでもない作品がスクリーンに帰ってきたものである。
本作『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は、シリーズの新たな幕開けを告げるリブート的作品でありながら、その実態はファンコミュニティを真っ二つに引き裂く、極めて物議を醸す問題作だ。
ギャレス・エドワーズ監督と初代の脚本家デヴィッド・コープという新体制が掲げた「原点回帰」という目標。
その志は高く評価したい。
だが、その結果として我々の前に現れたのは、スリリングなモンスターパニック映画としては一級品でありながら、『ジュラシック』シリーズの魂をどこかに置き忘れてきたかのような、奇妙なキメラだったのだ。
これは果たして、シリーズの「復活」なのか、それとも壮大なる「迷走」の始まりなのか。
本稿では、その功罪を一切の忖度なく、徹底的に解剖していく。
映画「ジュラシック・ワールド/復活の大地」の個人的評価
評価: ★★★★☆
映画「ジュラシック・ワールド/復活の大地」の感想・レビュー(ネタバレあり)
まず断言しておくが、この映画は単体のモンスター・アドベンチャー映画として観るならば、間違いなく面白い。
IMAXや4DXといったプレミアムフォーマットで体験すれば、その迫力に圧倒され、手に汗握る2時間を過ごせることは保証しよう。
評価が星4つなのは、純粋なエンターテインメントとしての完成度を高く評価してのことだ。
だが、しかし。
これが『ジュラシック』シリーズの正統な続編かと問われれば、答えは断固として「否」である。
本作は、その面白さと引き換えに、シリーズが28年かけて築き上げてきた大切な何かを犠牲にしてしまった。
その矛盾こそが、本作の評価を語る上で最も重要な点なのだ。
大いなるリセット―前作への大胆すぎる「なかったコト」宣言
物語は、『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』から5年後という設定で始まる。
だが、驚くべきことに、映画冒頭の画面上の説明で、前作のラストで示唆された「人類と恐竜の共存時代」が、いともあっさりと否定される。
曰く、「世界中に解き放たれた恐竜のほとんどは現代の環境に適応できず、絶滅しました」と。
これはもはや、ただの状況説明ではない。
前作が広げすぎた風呂敷を「手に負えないので畳みました」という、作り手側からの率直すぎるほどの白旗宣言である。
前作の壮大なテーマに期待していた観客からすれば、これは裏切り以外の何物でもないだろう。
しかし、この大胆な「リセット」によって、物語は再び「孤島で少数の人間が恐竜と対峙する」という、シリーズの古典的なフォーマットに回帰する。
これは、複雑化しすぎた世界観を整理し、より焦点を絞ったサバイバル劇を描くための、極めて戦略的な判断だったと言える。
その是非はともかく、この傲慢とも言える決断が、本作の身も蓋もない面白さに繋がっているのは皮肉な事実だ。
恐竜スタンプラリー―ご都合主義が加速させる極上のスリル
物語の駆動力となるのは、「大型恐竜のDNAから心臓病の特効薬を作る」という、科学的考証などどこ吹く風といった感じのトンデモ設定である。
この無茶なミッションのために、スカーレット・ヨハンソン演じる元傭兵ゾーラをはじめとする精鋭チームが結成され、海・陸・空の頂点捕食者3体のDNAサンプルを集めることになる。
ここからの展開は、まさしく「恐竜スタンプラリー」だ。
- 【海】モササウルスからサンプルを採取!→失敗!船が沈没!
- 【陸】ティタノサウルスからサンプルを採取!→成功!
- 【空】ケツァルコアトルスからサンプルを採取!→成功!
このように、物語はビデオゲームのクエストのように、極めて直線的に進行する。
キャラクターの掘り下げなどほとんどなく、彼らは次々と現れる目標をクリアするための駒に過ぎない。
巨大な肉食恐竜に噛まれても破れないゴムボート、人間が逃げる時だけ都合よく動きが鈍くなる恐竜など、ご都合主義のオンパレードである。
だが、不思議なことに、これが抜群に面白いのだ。
余計なドラマや複雑な人間関係を削ぎ落とした結果、純粋な「スペクタクル」と「サスペンス」だけが抽出され、観客はジェットコースターのように次から次へと襲い来る危機的状況に、ただただ没入させられる。
脚本の欠陥を、圧倒的な映像体験で無理やりねじ伏せる。
これぞブロックバスターの力技である。
部屋の中のD-レックス―シリーズのアイデンティティを喰らう怪物
そして、本作最大の問題点にして、論争の中心にいるのが、新たなハイブリッド恐竜「D-レックス」だ。
遺伝子操作によって生み出されたこの島の真の捕食者は、エイリアンのような頭部に、霊長類を思わせる異様に長い腕を持つ。
正直、これはもはや「恐竜」ではない。
どこかのSFホラー映画から迷い込んできた「モンスター」である。
作り手側は、このD-レックスを映画『エレファント・マン』のような悲劇的な存在として描きたかったらしい。
創造主に見捨てられた哀れな怪物、というフランケンシュタイン的なテーマを込めたかったようだ。
だが、その意図は、観客には1ミリも伝わっていない。
劇中で描かれるD-レックスは、ただただ狡猾で残忍な殺戮マシンであり、そこに悲劇性や同情を誘う要素は皆無だ。
これは、テーマの伝達における完全な失敗である。
『ジュラシック』シリーズの魅力の根幹は、古生物学への畏敬の念にあったはずだ。
フィクションでありながらも、そこには「かつて地球に実在した生命」へのリスペクトがあった。
しかしD-レックスは、その伝統を完全に破壊し、フランチャイズのユニークな美学を捨て去り、ありきたりなモンスターデザインに成り下がってしまった。
我々が見たかったのは恐竜であり、こんな安っぽい怪人ではないのだ。
そこにティラノはいない―ファンへの最大の裏切り
極めつけは、クライマックスだ。
執拗に追い来るD-レックスからの逃走劇。
観客の誰もが固唾をのんで待っていた展開。
それは、シリーズの絶対的王者、ティラノサウルス・レックスが窮地に駆けつけ、新参者のD-レックスとの頂上決戦を繰り広げるという、お約束の展開である。
しかし、その瞬間は最後まで訪れない。
そう、本作にはファンが最も期待したであろう「T-レックス vs 新ハイブリッド恐竜」のバトルがないのだ。
これは単なる肩透かしではない。意図的な「裏切り」である。
作り手は、過去作のフォーマットから脱却し、「今回は違うぞ」と高らかに宣言したかったのだろう。
そのために、シリーズの象徴であるT-レックスの役割を意図的に奪った。
フランチャイズをリフレッシュするための大胆な決断だったのかもしれない。
だが、それはファンが『ジュラシック』映画に求める最も根源的なカタルシスを、自ら放棄するに等しい愚行であった。
この「不在」こそが、本作が多くのファンに深い失望感を与えた最大の理由だろう。
映画「ジュラシック・ワールド/復活の大地」はこんな人にオススメ!
結局のところ、『ジュラシック・ワールド/復活の大地』の評価は、観客がこの映画に何を求めるかによって180度変わってくる。
本作を巡る賛否両論は、以下の表に集約される。
評価項目 | 称賛点(「独立したスリラー映画」としての視点) | 批判点(「フランチャイズ映画」としての視点) |
ジャンルとトーン | スリリングで分かりやすい冒険パニック。純粋な娯楽作。 | 初代の持つ「驚異」の感覚が欠如。ありきたりなモンスター映画。 |
D-レックス | 純粋に恐ろしく、効果的な新しい怪物。 | デザインが『エイリアン』の模倣で独創性がない。シリーズの根幹を裏切っている。 |
アクション | 視覚的に壮観。特に水上のシーンは圧巻。4DXに最適。 | 見世物に頼りすぎ。T-レックスのバトルがないのは大きな失望。 |
プロット | シンプルで追いやすい「スタンプラリー」構成が楽しい。 | 科学的に馬鹿げた設定。ご都合主義で予測可能。 |
新キャラクター | スカーレット・ヨハンソンらの演技は堅実。 | キャラクターの掘り下げが浅く、個性に欠ける。 |
つまり、こういうことだ。
オススメできる人:
『ジュラシック』シリーズの過去作に思い入れがなく、とにかく頭を空っぽにして楽しめる、スリル満点のモンスターパニック映画を求めている人。IMAXや4DXで映像の洪水を浴びたい人。
オススメできない人:
初代『ジュラシック・パーク』が持つ科学への畏敬や生命の神秘といったテーマ性を愛する人。恐竜そのものが好きで、古生物学的なロマンを求める人。そして何より、ティラノサウルスの活躍を心待ちにしている、全てのシリーズファン。
まとめ
『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は、極めて矛盾した作品である。
単体の娯楽大作としては文句なしに面白い。
だが、その面白さは、『ジュラシック』という看板を掲げることで我々が期待してしまう、数々の要素を犠牲にすることで成り立っている。
前作が広げすぎた物語をリセットすることには成功したが、その代償としてフランチャイズのアイデンティティそのものを揺るがしてしまった。
これは、シリーズにとって「勝利」だったのだろうか。
興行的な成功とは裏腹に、その魂は失われつつあるのかもしれない。
本作が投げかけた問いは重い。
現代において『ジュラシック』映画であるとは、一体何を意味するのか。
その答えを、このシリーズはまだ見つけられていない。